高時川ってどんな川?

そもそも高時川とは、どんな川なのでしょう?
概要をご紹介いたします。

大きさと長さ

 高時川は、琵琶湖に流れ込む一級河川「姉川」の支流です。別名を「妹川」ともいいます。
 支流とはいえ、姉川の流域面積が約158km2・流路延長が約31.3kmであるのに対して、高時川は流域面積が約212km2・流路延長が約48.4km。つまり、妹のほうが姉より大きくて、長いのです。
 ちなみに、琵琶湖の流域面積(琵琶湖自体を除いて)は3,174km2ですので、高時川の流域面積は琵琶湖の流域面積の6.7%を占めています(姉川と合わせると11.7%)。また、長浜市の面積(琵琶湖の部分を除く)は540km2なので、長浜市の40%は高時川流域が占めています。

出典:丹生ダム建設事業の検証に係る検討報告書(素案)平成28年2月 の 「2.流域及び河川の概要について」より転載

高時川の上流から下流まで

では、上流から下流へ、高時川を下りながらご案内をしていきます。

高時川の源流

高時川の最上流域(GoogleMapの衛星画像に加筆)

 高時川の本流は、福井県との県境、「栃ノ木峠」(とちのきとうげ)に端を発します。ここには大阪の淀川河口から一番遠い水源地として、「淀川の源」の石碑も建っています。
 この辺りは豪雪地域です。ブナ・ミズナラなどの雑木林が広がり、古くから人々が住み着き、山の恵みを生かした暮らしをしてきました。峠の名にあるトチノキの中には、樹齢数百年の巨木もあります。ブナと並んで、森の豊かさと厳かさを象徴する樹のひとつです。
 さて、「栃ノ木峠」の近くに、2つの裸地が見えるでしょうか。西側(左側)に見えるのが、1989年に開業した余呉高原リゾートヤップというスキー場。谷をはさんだ東側(右側)に見えるのが、2001年から2010年の間だけ営業され、その後に放棄された旧ベルク余呉スキー場跡です。
 川を下っていくと、最初の集落があります。中河内(なかのかわち)です。古くは越前(福井)と近江(滋賀)を結ぶ「北国街道」の宿場町として栄えました。小学校もありましたが、1985年に最後の卒業生を送り出したあと、廃校となりました。現在は13世帯、21人の方がお住まいと聞いています。
 2022年8月の豪雨では、この中河内の集落内でも高時川の本流が氾濫し、浸水水害が発生しました。 この中河内集落で高時川は東へと流れを変え、ほどなく、旧ベルク余呉スキー場跡を集水域に持つ支流、大音波川(おおおとなみがわ)と合流して、さらに下流へと流れていきます。

淀川水源の碑と余呉高原リゾートヤップスキー場(2022年9月撮影)
中河内の集落(2023年1月撮影)

丹生川上流地域(奥丹生谷)

 その後も高時川は、支流一つ一つと合流しながら南下していきます。このあたりの高時川は「丹生川」(にゅうがわ)と呼ばれています。
 山も渓谷もとても美しい一帯です。イワナやアマゴなどの渓流魚、イヌワシやクマタカなど、豊かな森林と河川を必要とする生き物たちが、高時川の源流域からこのあたり一体で暮らしていることが知られています。
 かつて、この山あいには人々も暮らしていました。7つの集落があり、炭焼きを主な生業にされていましたが、生活の近代化と、石炭・石油への燃料の移行にともない、過疎化が急激に進みました。そして、1969年から1971年にかけて奥川並(おっこうなみ)、針川(はりかわ)、尾羽梨(おばなし)の3集落の方々が集団離村をされました。また、1995年には残る半明(はんみょう)、鷲見(わしみ)、田戸(たど)、小原(おはら)の4集落が丹生ダム建設事業に伴って集団離村をされました。
 なお、この地での暮らしや離村の様子は、離村前後にこれらの集落に通い、写真を撮りためられた吉田一郎さん(元長浜市助役)の写真集「地図から消えた村 琵琶湖源流七集落の記憶と記録」などで目にすることができます。

丹生地区〜大見〜河合

 高時川を下り、ふたたび集落が現れるのは菅並(すがなみ)です。このあたりでいったん川の流れがゆるやかになり、田んぼも広がります。少し川を下ると、上丹生、橋本、下丹生と集落が続きます。この一帯は「丹生(にゅう)」と呼ばれる地域で、かつては小学校もありました。旧丹生小学校の木造校舎は現在、不登校の子どもたちの寄宿型スクールとして活用されています。
 なお、2022年8月の水害では、このあたり一帯も大きな浸水被害を受けられました。

 そして丹生川は再び山あいに入り、流れ降りていきます。谷沿いには大見の集落があります。そしてで杉野から流れてくる杉野川と合流して「高時川」となります。この丹生川と杉野川の合流点にある集落は、その名のとおり川合(かわい)です。川合には、大正14年から稼働しつづけている高時川水力発電所があり、その水は大見の上流で取水されます。
 しかし、2022年8月の水害で、大見も川合も、住宅や橋などに被害がありました。また、水力発電所の取水口に土砂が溜まってしまい、発電が停止しています。半年を経た現時点(2023年3月)になっても、再稼働の目処が立っていません。

 この丹生から川合の地域は、アユの友釣りなどの遊漁でにぎわう地域です。上丹生には丹生川漁業協同組合が、川合には高時川漁業協同組合があり、それぞれが、遊漁の事業を行われていますが、2022年は8月の豪雨以降、濁水が続いたため、ずっと開業ができないままシーズンを終えざるを得ませんでした。

大見集落(2019年3月撮影)
川合の高時川水力発電所(2023年1月撮影)

扇状地〜氾濫原の地域

 川合を抜けると、田園地帯が開けていきます。地理用語で「扇状地」と呼ばれる一帯で、川が運んだ土砂が扇状に広がり、なだらかに傾斜しています。(なお、地理用語の解説はこのページがわかりやすい→「沖積平野とは?」。)

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雨森橋から上流をのぞむ(2022年10月撮影)

 扇状地は、水が地下に浸透しやすい地域です。そのため、もとは水田稲作に適していませんでしたが、土木技術の発達にしたがい、水路網がはりめぐらされて、この一帯が水田地帯となっていったようです。国宝・十一面観音の鎮座する渡岸寺や、朝鮮との外交に活躍した雨森芳洲を輩出した雨森の集落などもこの一帯に位置します。
 しかし、雨や雪の量は年によって異なるため、渇水時には堰の壊し合いなどの「水争い」が絶えませんでした。
 昭和17年に古橋に建設された高時川頭首工によって、これらの争いに一定の決着がつきました。しかし、高時川の水だけでは足りないので、なんと琵琶湖の水を余呉湖にポンプアップし、余呉湖から高時川へ水を運ぶ大規模な水利も国の事業として整備されています。

参照:「滋賀の農業水利変遷史」「1.高時川流域の水利 」 / 「水土の礎」の「湖北の祈りと農

高時川頭首工(2023年1月撮影)
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「滋賀の農業水利変遷史」「1.高時川流域の水利 P73-75」より転載
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「滋賀の農業水利変遷史」「1.高時川流域の水利 P73-75」より転載

 また、これらの農業用水は、単に農業に使われるだけでなく、集落の中を通り、その暮らしや景観にも活用される環境用水としての役割も担ってきました。

 一方で、もともと地下水が浸透しやすい上に、川の大半の水が農業用水に取水されてしまうため、高時川本流から水がなくなる「瀬切れ」が起きて、魚が干上がったり産卵ができなくなる、などの問題も生じています。

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瀬切れした高時川(右奥は日本電気硝子高月工場)阿弥陀橋から(2019年5月撮影)

 一方、地下に浸透した水は、この地域の上水道の水源にもなっている。長浜市水道企業団のホームページの地図からは、高月、湖北、びわそれぞれが高時川の近辺に水源地をもっていることが読み取れます(画像が荒くて読み取りにくいですが…)
 また、工業用水としても活用されています。たとえば日本電気硝子株式会社の高月工場が高時川沿いに立地していいますが、これも豊富な地下水を利用できるからと言えるでしょう。

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日本電気硝子の年間水取水量(滋賀高月事業場だけでなく能登川事業場なども含む全社の数字)日本電気硝子ESGデータブックより転載

 この一帯は、大雨が降ると氾濫をする一帯でもあるため、集落は水害に遭いにくい場所を選んで立地しています。また、堤防も築かれています。昨年の水害で有名になった「霞堤」(かすみてい)があるのもこの一帯です。(高時川の霞堤については、こちらの記事で詳しく解説しています。ご関心のある方はお目通しください→「痛みをどう分かち合うか?ー霞堤をめぐってー」

氾濫原〜河口

 そして扇状地の地域を下ると、「氾濫原」と呼ばれる一帯が広がります。湖北地域からびわ地域にかけての一帯です。
 おそらく、太古の昔には、大雨の度に流路が変わっていたようですが、人々が定住するようになり、堤防を積み上げていくようになりました。以来、土砂で河床があがるたびに、堤防を高くすることを重ねた結果、河床が集落よりも高くなる「天井川」という地形になっています。
 天井川は、いったん氾濫が起きたら大きな被害が出るおそれがあります。一方で、天井川は川からの湧き水がいつも湧き出してくるというメリットもある。そのバランスをとりながら、近隣の集落の方々は暮らしをつないでこられました。

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天井川になっている錦織地先で、地元の方が立てられてきた水位記録

 そして高時川は、難波地先で姉川と合流して琵琶湖に流れ込む(ちなみに、かつてはここに「田川」も合流していましたが、今は田川カルバートという川の立体交差により、田川は単独で琵琶湖に流れこんでいます)。
 ここから下流は地理用語では「三角州」と呼ばれる一帯となります。
 河床と地下水位とがふたたび近くなるので、先に述べた「瀬切れ」が起きていても、このあたりでは再び水が湧いてきます。ウグイ、コアユ、ビワマスなど、魚の遡上時期には、魚を狙うサギ類やカワウなどの姿がたくさん見らます。

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姉川河口付近で魚(おそらくコアユ)を狙うサギの群れ(2020年9月撮影)

 魚を捕るのは鳥だけでありません。琵琶湖からあがってくる魚をとるための「ヤナ」も、南浜漁協の漁師さんによって設置されています。ヤナは、姉川合流地点より下流にも、高時川にもあります。

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高時川のヤナ ※休漁期間中※ (2022年9月撮影)

 魚の専門家からは、コアユの主な産卵場もこの合流地点より下流のあたりで、琵琶湖全体から見ても重要な産卵場だと聞いている。

まとめ

以上が、高時川の概観です。
あらためてまとめると、以下のようになります。

・琵琶湖流域全体でも、長浜市でも大きな面積を占めている
・水源はブナ・ミズナラなどの豊かな森林で、奥山にしかいない生き物たちが生息している
・農業用水、飲料水、工業用水を供給し、私たちの暮らしと産業を支えてくれている
・魚たちの暮らしと産卵の場であり、漁業を支えている(鳥たちの命も支えている)
・古くから、洪水防御(治水)、水利用(利水)など、さまざまな形で人々が関わり続けてきた

text by 村上 悟

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